2017年4月13日木曜日

教会での差別体験

ずいぶんブログを書いていなかった。

そりゃあ、知らないうちにブログをチェックされて知らないうちに仲間外れにされる経験をしたのだから、書く気持ちが出てこなかったのも当然だなぁと思う。私があからさまな差別体験をしたのが、2015年の秋から冬にかけて。

今朝、東北ではカミングアウトしているクリスチャンとして唯一のお友達が、ついこの間、とてもひどい差別体験をしたとフェイスブックに書いていた。

内容は今は書かないけれども、本当にひどい。

人が人を愛することは、相手が異性でも同性でも変わらないのに、なぜその関係を断罪するために聖書を用いるのだろうか。よくよく勉強して読めば、聖書に現代の同性愛カップルの関係を否定する記事はひとつもないのに。

ひどい差別体験のさなか、一人で、孤立無援な中で、手を挙げてカミングアウトして発言した友人の勇気は素晴らしい。さすがだ。

私もこれからまだまだ差別に遭遇することはあり得る。そこが異性愛者との大きな違い。


私も、勇気と元気を持ち続けていたい。




2016年3月22日火曜日

差別・人権侵害とイエスに従う生き方

昨年の秋頃から私に対して起きている差別/排除/拒否と無理解などについて、少しまとめてみたい。

1.日本基督教団奥羽教区の岩手地区で報告書としてまとめられた、花巻市の超教派の牧師会による排除事件。
2.その排除事件の報告の際、質疑応答の時間に起きた30代男性異性愛者牧師による差別発言。
3.私のこのブログをチェックして、陰で何か私に対する悪い印象を作り出したり噂をするような人たちの行動。


性的少数者としてカミングアウトして生きるということは、常に、一生、こういう差別、排除、拒否、無理解、無関心、そして裏でコソコソ悪口を言われるなどという事柄を引き受けて生きることなのだなぁと改めて実感している今日このごろ。

1の排除事件に関しては、教会が文書を出してくれたこと、岩手地区が公の報告書を出してくれたことがまず一つの落とし所となって、よかったと思う。
2の差別発言に関しては、まだ起きたばかりのことなのでどのように対処したらいいのか、検討しなければならないと思う。
3の陰でコソコソ何かする人たちに関しては、もう、無視するしか仕方ないのだけれど、そういう言葉というのは結局私の耳にも届くなので、すごく気持ちがわるい。私本人に対して面と向かって言うほどの自信がないのでしょう。そういう人たちが牧師だっていうのが本当に残念なことだ。


人権問題に疎い、感覚的に全くわかっていない牧師が多すぎる。
イエスさまは「人権問題」弱い立場にある人々が虐げられている状態に積極的に関わっていった。いつも、社会で辛い思いをしている女性、病気の人、疎外されている人のところへ出かけて行って、癒やし、励まし、教えた。

日本の教会の牧師は、聖書を勉強しているのにそのことがわからないのか?

いったい聖書の何を勉強しているのだろうか?

日本の神学業界が好んで用いる神学文献のみを参考にして試験の正しい答えを書ければ牧師になれるシステムの弊害だろう。

差別や人権侵害の出来事に遭遇して、本当にしんどくなったりしない・怒りが起きない人は、自分自身が差別される側ではない人たちだ。そして、無関心で人権問題を学ぶことに対して怠惰である。このような人たちは差別される側の人を「かわいそうな赤の他人」とみなすがゆえに、上から目線の言動を行う。あるいは我関せずと意見を表明しないことを選ぶ。

差別や人権侵害の出来事に遭遇して、辛い思いになったりしんどくなったりするのは、自分自身が差別される側か、あるいは差別される側の人の気持ちを想像できる人たちだ。

差別や人権侵害の出来事に遭遇して、怒りが起きて何か行動しようと目指す人は、自分自身が差別される側か、あるいは差別される側の人と共に生きようと願う人たちだ。

私たちは、キリスト教の教会に集まっているのだとしたらどのような立場で生きることを目指すだろうか?


差別や人権侵害の出来事に対して、どう対応していくのか、具体的に方法を考えていかなければならないと思う。その際に思い出したのが、TEDのビデオとGene Sharpという人の本。この本は、非暴力で独裁政治に立ち向かっていくための方法が書かれている。日本語だと、『独裁体制から民主主義へ―権力に対抗するための教科書』ちくま学芸文庫)となっている。アマゾンで邦訳を注文してみた。

 




TEDのビデオは、シーラ・エルワージー:「非暴力で戦う方法」というもの。日本語の字幕と字幕の書き起こしもあるのでぜひ色んな人に見てほしい。


https://www.ted.com/talks/scilla_elworthy_fighting_with_non_violence/transcript?language=ja






私は、方法として、ひとつは差別と人権侵害の出来事を隠さないことがまず一番大事だと思う。特に性的少数者(LGBT:レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)への差別に関しては、なぜか差別的言動を行う人たちの方に配慮して事柄を公にしないようにする人が多い。


もうひとつは、きっと言ってもわからないという諦めを選ばないことだ。どんなに小さな差別や人権侵害に関しても、丁寧に立ち向かう。言葉と行動で表明する。そうしていかないと、いつまで経っても相手は一生わからないし、差別される側は一生耐え続ける選択肢しかない。

これは、なにもLGBTへの差別だけじゃなくて学校でのいじめや他の人権侵害においても言えることだろう。

非暴力というやり方で立ち向かうたくさんの方法があることをしっかり学んで、実践していくこと。教会が公式の文書や報告書を出すというのもインパクトのある大事な方法の一つ。
それに、一つの道筋だけで対抗していくのではなくてあらゆる方向から包み込むように行動していくことも大事だと思う。

差別する人間が、どのようなタイミングでどのような場面で気づいてくれるのか私たちにはわからないから、色んな人が、色んな方向から教えてあげるのがいいのではないか


本が届いたら具体的に方法を模索していこうと思う。

一人ではできない。同じ地域にいる仲間、地域外から応援してくれる人たちの力が必要だ。

2016年3月9日水曜日

東北のLGBTクリスチャンの会

東北地方では、まだまだキリスト者で性的少数者(LGBT)であると言える雰囲気がありません。しかし、そんな中でも、私は幸いカミングアウトすることができているので、発起人として「東北キリスト虹会(にじのかい)」というのを始めました。2014年からです。

ホームページ上で当事者や当事者以外の仲間を募ったりしてきたのですが、今回はじめて実際に顔を合わせてのお祈りの会(夕礼拝)を持つことにしました!差別の厳しい東北地方のキリスト者の安全確保のため、性的少数者(LGBT)当事者に限って参加可能の会にします。

また、この会は仙台で行われる OUT IN JAPAN の関連企画にもなっています。
http://tohokurainbowportal.jimdo.com/kanrenkikaku/

お知らせは以下のとおり。

震災5年目お祈りの会(夕礼拝)を行います。
日時:2016年3月20日(日)19:30〜20:30
場所:参加者のみにお知らせします。(仙台市)
申込:東北キリスト者虹の会
   mail: TohokuCRainbow@gmail.com
対象:セクシュアル・マイノリティの方
   宗教・教派に関わらず参加していただけます。
   カミングアウトしていない方が安心して参加できるよう、
   セクシュアル・マイノリティに限らせていただきます。


http://tohokucrainbow.jimdo.com/meeting/




花巻に来てから、私自身が具体的な差別を経験しています。差別なのに差別ではないかのように振る舞うやり方での差別です。差別者自身が、差別行為に気づかないような状況も起きています。

こういう曖昧でまわりくどいやり方で、東北ではLGBTへの排除的な行動が行われるということが非常によくわかりました。

そのうち、私が経験した差別は、ある一つのケーススタディとしてこのブログや教会のブログでも公の文書を共有しようと思います。

奴隷が当たり前だった時代の常識、黒人や女性が差別されていた時代の常識(今もその差別はなくなっていませんが)は、間違った常識でした。今、人を奴隷とすることは間違っているし、人を肌の色や性別で差別することも間違っている、とやっと人間は気づくことができた。

同性愛者への差別に関しては、未だに、特にキリスト教会の中では、まるで当たり前のことかのように続いています。

奴隷として人を扱うことも、黒人への差別も、女性への差別も、私たちは聖書の言葉を大切にしていると強調する教会が主導して行ってきました。その差別の対象が今は同性愛者に向けられています。

聖書の言葉を武器にして差別を行う人たちは、自らが自らの的外れに気づくまでほんとうに人の痛みがわかるようにはならないでしょうね。

そんな人たちのネガティブな言葉や行動が堂々となされてしまう東北で、仲間と祈り合う機会を持てるのはとても貴重なことだと思います。


ぜひ、多くの参加者が集えるといいなぁ。

2016年2月16日火曜日

日本基督教団正教師検定試験の過去問リスト

私が作成した日本基督教団正教師検定試験の過去問リストです。こんな内容を勉強しています。過去問題集はあるけど(売っている)解答集はありません。しかし、「正解」を書かなければならない検定試験です。良い点数が取れる「正解」がどういう内容なのかは、空気を読んで答えるそうです。

教会史
http://bit.ly/1Xv9Oi2

新約聖書神学
http://bit.ly/1SQtf5S

旧約聖書神学
http://bit.ly/20BdwXq



2015年9月25日金曜日

広島を訪れて

なぜ今回広島に行こうと思ったのか自分でもよくわからない。

戦後70年という言葉が飛び交う中で、原爆を落とされた土地を訪れたことがない自分に対して、何か違和感を感じた。それだけ。今回は大阪まで行く用事があったので、広島のほうが近かったから、広島に行ってみたのだけど、長崎にもいつか行ってみたい。

今の広島は、原子爆弾で吹き飛ばされて何もなくなってしまった土地だったとは、想像つかない。けれど、あの原爆ドームは紛れもない歴史の生き証人で、あそこだけ時間が止まっているようだった。

70年前のあの日の爆風を受けて、その後、原爆ドームと呼ばれ始めたあの建物は、どんなふうに広島を見てきたのだろう。日本を見てきただろう。あの建物にもし、人間のような感情や意志があったら、彼あるいは彼女は何を思うのだろう。

癒やされることのない傷。むき出しの傷。あの日のあの瞬間をそのままにさらけ出して、生きてきた建物。

広島と長崎にはあの建物と同じ傷を受けた人々が今も生きていて、その傷を身体的に受け継いだ人々もいて。

ほんとうは日本に生きる私たちは ー国としてまとまっているのであればー 日本人として自分たちの国の一部である広島と長崎が受けた痛みを、自分の傷として受けとめる必要があるだろう。原爆の被害、空襲の被害、とにかく傷を受けた人たちのその傷と、70年間どのようにして向き合ってきたのだろう、私たちは。

私は、戦後70年のうちのちょうど後半の半分を生きてきた世代だ。

戦争というモノを実際には知らない。けれど、女性として、セクシュアルマイノリティとして、離婚した親の家庭に生まれた子どもとして、東北地方出身として、キリスト教保守派グループから日本国内では比較的進歩派とされるグループに移籍した者として、いろんな理由で、いろんな場面で、理不尽な暴力と出会ってきた。

だからこそ、暴力がもっとも大きい単位で現れる戦争というのは「本能的に嫌い」だ。

傷は苦しめる。傷は痛い。傷は絶望を生む。

原爆ドームは、「今もこの傷は痛いよ、苦しいよ、でも生きているよ、だからこれ以上痛い思いや苦しい思いをしたくないよ」と言っているようだった。傷を抱えてもそれでもその場で生きてきた、だからこれからも生きていく、という勇気を与えてくれているようでもあった。


私の心の中にも、原爆ドームのような廃墟のような場所があるのかもしれない。

今年の7月で、アメリカから日本に帰国して1年経った。幸いにも働く場所を与えられて、初めて迎えた終戦記念の8月だった。なんとなく原爆ドームを見に行かなくちゃという気にさせられたのは、私の中のこれまでの傷を原爆ドームという実際の建物を通して改めて見つめたいという欲求からだったのかもしれない。また、「終戦記念」とは無縁に過ごしたアメリカでの3年間の反動から、もっと「終戦」を身近に感じたいという欲求だったのかもしれない。

私は、原爆で亡くなった人や被爆した人たちと自分を比べて、あんなに苦しんだ人もいたのだから自分はもっと頑張らなくちゃいけない、とか、あの時代の人は可哀想だったとか、そういう気持ちにはならない。ただ、70年前の現実をまっすぐに受けとめる必要があると感じる。原爆での攻撃というのは「悪」でしかない、と強く思う。そして、究極的に「戦争」という道を人間が選ぶというのは「悪行を選ぶこと」であると思う。

破壊されたものは二度と、もとには戻らない。戻れない。

戦争や原爆は、新たな次元のための脱構築ではなくて、人に絶望をもたらす破壊でしかない。


私は、今回広島を訪れて、原爆ドームの悲痛の声を聞いた。










2015年8月21日金曜日

教会は好きだけど日本全体が窮屈なのはなぜ

最初にはっきりと言っておきます。

私は、今働かせていただいている教会がとっても好きですし、この場所に住ませていただいていること、関わらせてもらっている人たちを尊敬しているし、ホントに好きです。お金では絶対に買えないものが、今いる場所には、ものすごくたくさんある。それらを大切にしている人たちがいる。自分たちの手足を実際に動かして教会を守っている人たちがいる。都会と比べて現金収入がほんとうに少ない中から、一所懸命(文字通り一所懸命です)、献金をささげ自分たちの教会を大切にして、牧師を支えてくれる、素晴らしい教会です。

私は、つい2年前くらいまで、アメリカから帰って働く場所があるんだろうかってものすごく悩んでいたけれど、こんなに素敵なところを神様が準備してくださって本当に感謝しています。

これは、紛れもない事実です。



しかーーし!!なーぜ、こんなに窮屈に感じてしまうんだろう、日本。ほわい?


日本語のせいもあるのだろうか。
あるいは、日本の風習のせいなのだろうか?


言いたいことをストレートに言えない。
言うと、え?聞いてくださってました??って言いたくなるような応答が多かったり、あなた、それを自分より年上の男性にも同じように言うんですか?っていうようなことを言われたり、そもそも、発言のチャンスが与えられなかったり。

いつの間にか、自分の知らないところで自分の意志ではないことを進められていたりする。まるで私が恩を着せられているかのように行われるので、イヤと言えない。なんじゃこりゃ?

相手が何を考えているか意見を求めても、え?それってあなたの意見ですか???ん?何を言っているのかいまいちよくわからないんですけど??っていう感じの話し方をする人が多くてイマイチよくわからない。

なんだか、もやっとしてるんです、モヤっと。


お互いの意見を言い合えて、あースッキリ、楽しいね〜っていう瞬間が少ないんですねぇ〜。あ、特に神学的な事柄に関して、ですよ。

他の一般的な話については、周りの皆さんと楽しく話せることは多いんですけど。


自由がないなぁ〜って感じ。あと、余裕もないなぁ〜って感じ。ブラックジョークが通じないんだろうなぁ〜って感じ。

かろうじて argument できても discussion ができない文化なんだろうなぁ。それは小さい頃からの教育で身についたものなんでしょうけれども。

僕はこう思う、私はこう思う、なるほど、あなたはそう思うのか、そうか、そういう考え方もあるか、へーそれは知らなかった、もっと教えて?ああ、じゃあ、こういうふうにも考えれるかも、、なーるほどね。うん、面白いねぇ!

っていう場面に、、まだあまり遭遇したことがありません。


なんか、ゼロサムゲームみたいなのばっかり。。ウィンウィンがない、っていうか。

ていうか、組織の構成メンバーの男女比がほぼゼロサムに近いし、年齢構成も激しく偏ってるから、クリエイティブな議論は生まれてこないですよね。残念なことです。

ついこの間までいたところの多様性と比べたら雲泥の差。そりゃあ、窮屈に感じちゃいますわな。。変革していこうという雰囲気もあまり感じないし。

まあ、しょうがないか。猫と一緒にのんびり一歩ずつですね。






マイノリティ当事者か、マイノリティ事情に詳しい仲間で、ある程度神学の知識があって楽しく神学の話ができる友達(上下関係じゃない友達)ができますように。祈る!(アメリカにはそういう友達がいるから、いつもそういう意味でホームシックです。)


2015年8月15日土曜日

賢そうな自説?聖書をおとしめる批判??

日本基督教団正教師試験の提出論文のなかの、私の説教に対する「コメント(論評)」の一部の言葉がどうしても頭から離れず、とぐるぐる考えています。私が今まで3年間受けてきた神学教育は何だったのか、泣きながら英語を覚えて書き続けたレポートは何だったのか、神様が助けてくれなかったらここまで来れなかった人生は何だったのか、私の聖書釈義と説教の作り方が「聖書を批判していて、聖書をおとしめている」のだとしたら、もう語ることができないのではないか。

聖書を批判的に読むことを封じ込めたら、いったい何が釈義なんだろうか。

釈義:文章・語句などの意味を解きあかすこと。また、解きあかした内容。解釈。
大辞林 第三版)

意味を解き明かすために、文章の文脈の分析をしたり時代背景を考慮したり、、その文章が歴史的に与えてきた影響を考えること=批判的に文章を読むことは、聖書をおとしめることになるの??

この「解き明かした内容」は文章・語句などの意味と向かい合った人によって少しずつ異なるものではないだろうか?全員が全員、ほとんど同じで金太郎飴みたいな釈義、そこから生み出される説教っていうのがあるものなんだろうか?

どんな牧師にも、その人の言葉でなければ語ることができない説教がある。どんな牧師も平均的に同じような説教ができるなんてことは、あり得ない。それじゃあ、人間の仕事じゃない、機械の仕事になってしまう。

どこの教会に行っても語られる福音は同じかもしれない、でも、説教には色があり、呼吸があり、表現があり、生き様がある。

説教は、ただ、ヘブライ語やギリシャ語の意味を確認したり、日本のキリスト教業界の主流派に近い思想を持った人たちの本だけを参考にしたりして、お隣りの牧師たちと同じように作ればいいものではないでしょう?

私には私だけの生きてきた人生があって、その経験、喜び、悲しみ、痛み、嘆き、そして感謝から産まれてくる言葉がある。それらの言葉の背後には、いつも神様がいて、聖書がその神様の存在を言語化してくれる。聖書と一緒に生きてきた軌跡がなければ、牧師の説教の言葉たちは生み出されてこない。と私は思っている。

それを、「賢そうな自説」なんて言葉で表現されて、私はほんとに、けっこう深く傷ついているんだ、今、と思う。こんな言葉を述べた人たちは、私の経験してきたことのいったい何を知っているのだろう?


私に、日本の教会で働くための謙遜さが足りないのか。

私は、でたらめに自分の考えを説教の中で広めたいなんて一ミリも考えたことがない。説教の最後はいつもセレブレーション(祝典)・喜びであり、イエス・キリストの愛、希望、勇気が伝えられるものだと思っている。

説教の作成の過程は、聖書の伝える概念を時代と文化の限界の中にある私たち自身が理解しやすいように、翻訳し直すプロセスでもあると思う。

私の翻訳が、彼らにとっては「賢そうな自説」に見えたわけだ。


コメントを受け取って以来、どうしたら、謙遜に語れるのかを試行錯誤している。

でも、やはり、自分の言葉ではない言葉で語ることはできない。「聖書のヘブライ語やギリシャ語の解説」「注解書の切り貼り」「誰か(偉い・有名な)神学者の思想の紹介」「年の功による経験のひけらかし」は、私は説教じゃないと思っている。

自分を奪われるような言葉を以って説教をすることは、少なくとも私にとっては苦痛でしかない。

みんな、試験に受かるためにそうしてるんだから、という応援してくださっている皆さんからの励まし、嬉しくもありしんどくもあった。最終的にはそうしなければいけないのは理解しているけれど、同調圧力でもあると感じてしまう。とにかく目的が大事だから手段を選ぶなっていうのは、ちょっと乱暴じゃないのかなぁ…。


あなただけが不合格になっているわけじゃないよ、という過度の一般化に基づいた励ましに対しても、なんだかなぁ、と悩む。これまた、他の人たちもそうなんだから、という同質性の強調。

もちろん他の人も厳しいコメントや不合格通知をもらっているのだろう。でも、本当に、多くの人たちが(例えば受験生で不合格通知をもらった人たちの6〜7割とかが)「聖書をおとしめている、賢そうな自説を言っている」などというコメントをもらっているのだろうか?もらっているのだとしたら、私だけじゃないという励ましも納得がいく。けれど実際は何が起きているのか受験者同士の繋がりもないし、私には日本の神学校の同窓会繋がりもないし、わからないですよ。

私、個々人のバックグラウンドを無視して、他の人もそうだから、と言われるのがとても苦手。

だってね、きっと受験生の中で唯一私が Master of Divinity を取得している補教師だと思う。日本の神学修士は英語でなんというのか知らないけれど、アメリカの神学修士は3種類あって、牧師になるための修士は3年、座学と実習が半分ずつで神学論文は書かない(書く時間がない)、これが Master of Divinity (M.Div.)。ほかに、Master of Theological Studies (M.T.S.) と Master of Arts in Pastoral Studies (M.A.P.S.)がある。

私も行くまで知らなかった。今まで帰国してから出会った日本の牧師さんたちの中でこの3種類の修士のことを知ってる人はほぼいなかった。一人か二人くらい?かな??知ってたの。

やっぱり、私ってーそれが良い悪いとかではなくー受験生の中では特殊な経歴なんですよ。

私たちの合否を決める50代60代の日本の牧師さんたちと私では、受けた教育と持っている情報が、たぶん、あまりに違いすぎる。他の受験生の方が、私よりはどちらかと言えばその人たちの思想や立場やコネクションに近いでしょう。

こういう状況を一緒くたにしてほしくないんですよね。


少なくとも今は語らせてもらえる場があることに心から感謝をしつつ、教会外の友達からもよく言われてそのたびに悲しくなるんだけど、実際のところ、私は日本には適合しないのかもしれないなぁとも、思う。私が日本にいても迷惑なのかな。そして、日本にいたら「上の人たち」に潰されてしまうのかな、いつか。一般常識は身についているとは思ってますが。


神様が今後の私の人生をどのように計画してくださっているのかは知りようがないから、今は毎週頑張って語らせていただくことに集中しなければならないですね。日本の上の人たちからのお墨付きがなくても、その上の人をこえている存在が私を支えてくださっていることを信じて。

というわけで、エナジードリンク(笑)





2015年8月14日金曜日

実はウイスキー好きなんです


McClelland's SPEYSIDE SINGLE MALT SCOTCH WHISKY
マクレランズ スペイサイドというスコットランドのウイスキーを買ってみました。




お酒を飲み始めたのはいつ頃からかなぁ?20代前半まで、禁酒禁煙が基本の教会に通っていましたので、お酒を飲むことは自分を汚すことと教えられておりました。聖なる生活とお酒を飲まない、たばこを吸わないことはイコールでした。

その教えの影響もありましたけど、個人的にそれほどお酒に酔うことに興味がなかったので、あまり飲んだりしなかったんですよね。飲み会という場所に行くこともありましたが、実は、どうも、体育会系のノリが苦手で。中高ソフトボール部部長なので経歴としてはめっちゃ体育会系なんですけどね。

静かなバーとかで、ゆっくり飲むのが好きです。あと、美味しいお料理(お寿司とかね)に美味しい日本酒を少しとかのほうが、本当に好きです。

ウイスキーは、基本ロックで飲みますが、カフェ・アレキサンダーという名前でウイスキーを入れた珈琲を出している喫茶店があって、それがとってもおいしかったので、濃いコーヒーに小さじ2杯位入れて飲むのも好きです。カクテルのカフェ・アレキサンダーはカカオリキュールを入れるカクテルみたいですが、そのお店ではウイスキーでした。だったはず(笑)まあ、ともかく珈琲+ウイスキーは抜群に目が覚めて頭が働くか、リラックスしてる時はよく眠れます(笑)

私は珈琲で眠れなくなるとかはないんですよね〜。

お酒に関しては、酔っ払って意識を失うとかなったことがないし、なるのはあまりよくないことだと思います。当たり前ですが(笑)自分のためにも周りのためにも、素敵な飲み方をしたいものです、ほんとに。酔って楽しくなってしまって、自分がどのくらい酔っているかも忘れて飲み続けてしまうっていう人は意外と多いものなのでしょうか。

そういう飲み方ってお酒に対しても失礼なんじゃないかなぁとか思ったりして。

アルコール依存症も、怖いですしね。疑いのある人は440万人もいるそうです。
“ 2003年に実施された全国成人に対する実態調査によると、飲酒日に60g(純アルコール量として)以上飲酒していた多量飲酒の人は860万人、アルコール依存症の疑いのある人は440万、治療の必要なアルコール依存症の患者さんは80万人いると推計されています1)。”



それで、今回野口英世さん2枚で買ってみた「マクレランズ スペイサイド」ですが!軽くて飲みやすいですね。香りもあっさりしてしつこくない感じです。半分くらい飲んだら次のを買おうかな(笑)?

瓶を集めて並べるのも好きなので楽しみだな〜!


2015年8月10日月曜日

猫と夏、真っ盛り

7月6日月曜日に、一人暮らしをはじめてから10年にしてはじめて、一緒に住む動物をもらいうけました。保護された仔猫、凛(りん)ちゃん。8月3日月曜日に、凛と一緒に育っていた百合(ゆり)ちゃんも受けとることになりました。

私は動物好きで、犬も猫もどちらも好きなので、すっごく犬派!すっごく猫派!みたいな可愛がり方はしないタイプです。猫たちともそれなりに距離をおきつつ、まぁ楽しく暮らしています。


7月は、いろいろありましてしんどかったです。なんか、お話がきちんとできないとか、言ったことを実行しないとか、自分の状況を理解していない、受け入れられない、とかやっぱり大人でもあるんだなぁと改めて学ばされました。まあ、理由はあるにせよ、少なくとも話はしないと、と思うんですよね。

そして、私は成金的なお金持ち趣味に非常に嫌悪感がある、と確認しました。自分の持ち物をすべてブランド品などで固めてさ、社会的地位があったとしても、人としての性質はそういうモノやお金ではかれるものではない、って心底思った。そういう暮らしってむしろカッコわるいと思う。

こういう、日本のお金を持っている層の人たちの社会との関わり方とか信念の浅はかさって空しいよなぁ。お金を持っている層は、こういう人たちが大半なのかなぁ。

あとは、キリスト教系の私立中学校や高校って、本当はそういうお金に寄らない価値観を教えているはずなのに、都会のお金持ちの子どもたちが集まってるって矛盾だよなぁと思わされました。お金持ちの親はキリスト教の基本も何も知らないのに、月に何万円も払って、子どもたちを塾に通わせて、キリスト教系中高に入れる。意味不明すぎる。

だって、キリスト教って貧しい人、弱くなっている人たちと寄り添うはずなのに、そういう人たちって貧しい状態を経験していないじゃないですか。不思議。


8月は、つい最近、日本基督教団の正教師試験というのの提出論文、6つのうち5つが不合格になっちゃって、その理由もイマイチな感じでしんどかったですね。まぁ「オカミの方々のおっしゃることなんだから理由は正当なのだろう、きっと」とか、「不合格なんだからそれなりに悪い論文だったのだろう」とか、考える人が多いのかもしれませんが、、私の頭には「お上=正しい」という方程式はありません。

神学という学問において唯一正しい答えを書けということ自体が間違いだと思うし、神様以外の何物をも絶対化してはならないはずなのに、聖書の文字を絶対化して聖書という文献への批判をゆるさないだなんて、変なの。

聖書は、委員会の皆さんに守ってもらわなくても、聖書そのものだけで十分神の言葉ですから!人間の批判で潰れるような書物じゃない。って感じ。

本当に聖書が好きなら、聖書を誤用して世界のキリスト教会が犯した罪を見過ごしてはならないのではないかと思います。前後の文脈と歴史と、現代社会の中で聖書を読む。ある部分だけを切り取って読むのは聖書の文字崇拝であって、それは神の言葉として聖書を受け取ってるんじゃないと思う。

日本のキリスト教会は、日本の言霊文化に影響を受けすぎてはいないか?と思ったりもしますね。

日本のキリスト教会の教会の内側にいる人たちだけに通じる常識は伝統でもなんでもなく、ただの偏向思考なだけ。「今までこうしてきたから今もこうしている、今までこういう仕方で信じてきたからそれが普通」みたいな思考回路から抜け出せないのかなぁ、今のちょっと上の世代の人たち=なんとか議員とか、なんとか委員長とか、なんとか委員の人たちって。硬直した思考回路に気づきもせず、自分たち自身が常にトランスフォームされることを求めないようなリーダーたちがこの団体をまわしている間に、日本の教会は、どんどん人々の間で必要とされない存在となっていくでしょうね。

残念なことです。私はそういう状況に、やはり、「迎合」はできません。

ま、イヤなこともあったけれど、一番イヤなことから約一ヶ月たって、だいぶ元気になった。そして、夏休みになって近所の子どもたちが遊びに来てくれるのが、すごーく嬉しいです。今週はバーベキュー!猫が走り回ってるのを見るのも癒やされます。










2015年6月9日火曜日

闘魚の一郎とジャズナイト

アメリカのお友達が飼っていた闘魚(ベタ)を預かったことがありました。いやあ、美しさに見惚れました。で、働き始めたら絶対に自分の仕事部屋で飼いたいって思ってたのでした。就任式をしていただいたあと、ホーマックから連れてまいりました。水槽などなど一式、ホーマックのお兄さんに教えてもらって選んで。

 

 


けっこう毎日調子がいいと思いますよ。餌を食べるときの動きが俊敏です(笑)朝は、What's up, Ichiro?! Sleep well? ってアメリカっぽく話しかけています(笑)

美しいですね、この赤と青の絶妙な色が。一郎、カッコよすぎる。一郎のヒレの一筋一筋、その色を眺めるたびに、いやあ、神様のデザイン力ってほんとうに素晴らしいって思うんですよねえ。


そして、仕事の時はいつもジャズラジオドットコムっていうインターネットラジオをかけているのですが、その中で特に最近いいなぁと思ったアーティストのCDを買ってみました。Ken Peplowski というスイングジャズ分野で知られる、クラリネット奏者、だそう(ウィキペディア情報)。

この人の演奏、昔行ったジャズバーとかコンサートを思い起こさせられます。こういう音楽を聴くとちょっと都会の夜が懐かしくなったりもしますが、まぁ、そういうのは今後いくらでも経験できるだろうしな。

そういえば、さきほどCNNのニュースでアップル社が Spotify や Pandra みたいなサービスを月がく9.99ドルで始めるって言ってましたね。日本でも配信されるのかな?!日本、ほんとインターネット鎖国すぎるからなぁ。

Lastfm をさっき登録してみました。http://www.lastfm.jp/user/Reinau25/library


昼間の事務仕事やら何やらを終えてシャワー浴びたあとに、ジャズを聴きながらソファで神学書を読むって最高に気持ちがいいな〜。あ〜ここに牧師として呼んでもらって幸せでございます。夜は静かだし、朝は鳥の音で起きるし。野菜はおいしいし。自分で作ったピクルスと、今日のトマトスープはわりとおいしくて、おいしいわ〜って言いながら食べてましたよ、一人で(笑)

今週から祈祷会で『イエス最後の一週間』を読み始めるので、今日はこれを読んでいました。神学校の新約聖書学の教科書でもありました。英語だと、The Last Week What the Gospels Really Teach About Jesus's Final Days in Jerusalem です。当然ですけど、やっぱり日本語のほうが早く読めますね(笑)

日本語の神学書(昔々のすごーい難しいのでなければ)この感じだと週に2冊くらいのペースで読めそうな気がします。英語もまだ読みきってない本がたくさんあるから、週に半分くらいのペースで読むのを目標にしようかな。それで、一週間に2冊半か。その他に、一般書も2冊くらいは読んだほうがいいでしょうね。

今週は子ども向けの哲学絵本というのを2冊は読みましたけど、それはまた別だな(笑)

ブログも、日本語でも英語でもがんばろう。


就任式と提出物が終わって、いよいよ自分のペースを作っていく時期です。


一郎とジャズといっしょに、楽しんでいこうっと。






2015年6月6日土曜日

シンプルお食事ライフ

日本でのひとり暮らしを再開して、早2ヶ月。去年までは仕事上、高校生と一緒に食事をさせてもらっていた(しなければならなかった)ので自炊をしていませんでした。そういえば、一人暮らしをはじめてから今年で10年位になるんだな。

料理は得意とは言えないですけど、基本的に自分で作って食べるのが好きです。

アメリカでは、トレイダージョーズというオーガニックフードのスーパーで毎週買い物をしていました。買うものは毎週だいたい同じ。どうしても具合が悪い時とか、宿題が切羽詰まって時間がない時のための冷凍食品のインドカレーとか酢豚とかはちがう種類のを買ってましたね。ちょっとした楽しみでした。

牛乳、100%のジュース、ギリシャヨーグルト、豆腐、ガルバンゾ豆、トマト缶、サラダ用の野菜、そのまま食べる小さいにんじん、ブロッコリーとカリフラワーが混ざってるの、そのまま食べられる小さいりんご、冷凍のブルーベリー、マンゴー、いちご、チーズ、ベーコン、パン、パスタ、炭酸水、卵、米、しょうが、などなど。たまに、じゃがいも、玉ねぎ、クスクス、グラノーラバー、などなど。

そういえば、サラダそうめんにピーナッツベースのドレッシングをかけて食べるのもよくやってたなぁ、あのドレッシングおいしかったっけ。



日本でも、アメリカでの3年間と、わりと同じようものを食べてます(笑)朝ごはんは、パン、卵、ベーコン、スムージー、野菜。お昼ごはんは毎日、そば/うどん。夜はその日の気分で、米あるいはパスタを主食に。食費もかからないし、調子がいいんですよね。お肉は自宅ではあまり食べず外食する時に食べるので、お肉はありがたいものというイメージがあります(笑)

和食が苦手とかではないんですよ。ただ単に、和食を作るという習慣を身につけなかっただけですね。和食は大好きです。焼き魚も、煮物も、漬物も、味噌汁も何でも好き。まあ、そのなかでも地元の刺し身とご飯は特に好き(刺し身は料理じゃないじゃん、ていう。笑)

まあ、そんなシンプルお食事ライフをずっとしている私なのですが、昨日はどうしても疲れてしまって、ものすごく久しぶりに、きっと3,4年ぶり、コンビニのお弁当を買って食べたのですね。いや、、なんていうか、具合がわるくなってしまいました。スーパーのお惣菜、お弁当はスーパーや地元で作っておられるから食べれるんですけど、昨日のは、ちょっと何かが無理でした。保存料とかかなあ?

好きな方々には失礼かもしれないのですが、ちょっとコンビニの弁当、コレを継続して食べていたら、体がおかしくなりそうと思いました。味もなんか不思議だった。しょっぱいし。今朝起きたら部分的に肌荒れがひどくなってました。

やっぱり自然に近い食事って大事だよねぇとか思っていたら、今日のインフォグラフィックスのメールマガジン(
http://www.dailyinfographic.com/wp-content/uploads/2015/06/unnamed-8.jpg)ファストフード店が今後減っていくであろうというものでした。そうだろうな〜。




教会での差別体験

ずいぶんブログを書いていなかった。 そりゃあ、知らないうちにブログをチェックされて知らないうちに仲間外れにされる経験をしたのだから、書く気持ちが出てこなかったのも当然だなぁと思う。 私があからさまな差別体験をしたのが、2015年の秋から冬にかけて。 今朝、東北で...