This Little Light Daily Devotional 001

Revised Common Lectionary Daily Readings 
Friday, January 30, 2026:
Psalm 15; Deuteronomy 24:17-25:4; 1 Timothy 5:17-24;
 
1: 賛歌。ダビデの詩。/主よ、誰があなたの幕屋にとどまり/聖なる山に宿ることができるのでしょうか。2: それは、全き道を歩み、義を行い/心の中で真実を語る者。3: 舌で人を傷つけず/友に災いをもたらさず/隣人をそしることもない。4: 彼は主の目に蔑まれる者を退け/主を畏れる者を尊ぶ。/不利益な誓いでも翻しはしない。5: 利息を取って金を貸さず/賄賂を取って罪なき人を苦しめない。/これを行う人はとこしえに揺らぐことがない。

旧約聖書 詩篇15編(聖書協会共同訳)
 
文章にも、重さがある。珈琲の苦味とコクのように。なんとなく、重い文章の方が崇高な感じがするような気がしていたし、大人になるということはそういう文章を書けるようにならなければならないというような気がしていた。勝手にそういう思い込みで自分を縛っていた。
私が書きたかったのは、365日の短い祈りと黙想の言葉たち。自分がそういう言葉たちに生かされてきたけれど、そういう言葉を書く人たちのなかに、自分と同じような人がいなかったと今振り返って思うから。生かされてきたけど、どこか物足りない気持ちもしていた。近頃は、誰が書くのか、誰が語っているのか、が気になる。言葉そのもののきらめきも大切ではある。いっぽうで、その言葉を紡ぎ出した人のコンテキストにやはり興味がある。同じ言葉でも、誰が口にするのか、どんな時に発せられるのかで、やはり重みが変わってくると思う。
自分の舌が生み出す言葉が強く鋭いものだと気づき始めたのは、いつ頃だったか。いつも激しい怒りを抱えていたように思う。「全き道を歩み、義を行う」 のは、とてもとても大変なことだ。良い人はたくさんいても、善人はごく少数。良い人は世界を変えないけど、少数の善人が世界を変えていく。ひとは時にただの良い人でもあるし、ある時には善を行うこと、義を選ぶこともできる。心の中で真実を語りつつ、舌での攻撃をやめない人たちからは退いてもいい。聖書が語る「義」は自分の主張の正しさを強硬に押し付けるという意味合いの「正義」ではない。こういう意味合いでの「正義」という単語の用い方が、あまりにも広まってしまって残念だ。「義」は、「正義」は、弱い立場にあり苦しむ人が回復するためのものなのに。
ある人が、「言葉を地下室にもぐらせない」ことが大切ではないかと問いかけてくれた。今までもぐらせていた言葉たちを起こしてみようと思っている。
 
祈り
舌で人を傷つけ、友に災いをもたらし、利息と賄賂を取る者を蔑む神さま
舌で人を傷つけない、友に災いをもたらさない選択をすることができるよう助けてください
 

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