2019年2月23日土曜日

The Small Talk PDF一覧

2019年1月から5のつく日に書き始めた個人通信のPDF版にアクセスできる一覧です。自分で撮影した写真、Unsplash https://unsplash.com/ というサイトからお借りした美しい写真も掲載しています。

2019-0215 The Small Talk.pdf - Google Drive http://bit.ly/2XeECKl

2019-0205 The Small Talk.pdf - Google Drive http://bit.ly/2SmVlHA

2019-0125 The Small Talk.pdf - Google Drive http://bit.ly/2U3SXXZ

2019-0115 The Small Talk.pdf - Google Drive http://bit.ly/2BSHhjH

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The Small Talk 5 - 2019.02.15

主に今わたしが仕えている土沢教会の皆さん向けですが、もちろん外部の皆さんにも読んでいただきたく、個人通信を書き始めました。2019年1月から5のつく日に書きます。

聖書を知ろう(2)

今の聖書がどのように聖書という「正典」になったのか、ということを(1)でお話しました。今回は、私たちは聖書をどういう風に読んでいるのか、聖書の読み方について確認してみたいと思います。いろんな読み方がありますが、大きく2つを考えてみます。ひとつは、逐語霊感説の立場(聖書信仰・保守/福音派)、もうひとつは聖書を批判的に読む立場(自由主義神学・リベラル派)です。逐語というのは1つ1つの言葉、という意味ですね。聖書の文字1つ1つが、神の霊感を受けて書かれたという立場が逐語霊感説です。この立場をとると、聖書の文章は霊感を受けて書かれた言葉なので、それがそのまま事実と信じるに値し間違いはない、全て正しいことを述べているというような読み方=聖書無謬説(Biblical infallibility)になります。この読み方が日本でも特に強調されるようになったのは、1978年に「聖書の無誤性に関するシカゴ声明」が出されて以降のようです。無謬性と無誤性は厳密には違いがあるようなのですが、今はここでは触れません。

この立場には大きな問題があります。確かに、最初に文章を書いた人々は神の霊感を受けて書いたのかもしれません。しかし、聖書の原本は存在しません。現在残されている聖書は全て写し書き(写本)です。印刷技術ができるまではずっと手書きで書き継がれてきましたので、人の手による作業ですからもちろん書き間違いや何かもあるわけです。しかも、その写し間違いは1つや2つではない可能性もあります。文字をそのまま信じるとなると、その写し間違いなどはどうなるのでしょうか。また、聖書は数え切れないほどの言語に翻訳されています。翻訳は、必ず意訳になります。どんな言葉にもその言葉に伴う文化や歴史があり、聖書の言葉もそうです。日本語と英語の聖書を比べて読んでみるだけでも、ずいぶん印象が違う場合があります。また、訳し方によってもこちらが受け取る意味が違ってきます。翻訳した人の影響がない聖書などあり得ないのです。たとえば、聖書に「同性愛」という言葉(単語)が出てくることがありますね。同性愛(homosexual)という言葉は、19世紀後半以降に出てきた言葉です。それまでは単語自体が存在していませんでした。今、英語や日本語の聖書で「同性愛」という単語を使っている聖書があったら、それはその聖書を訳した人が、同性愛という単語を聖書の翻訳をする時に選んで使ったからです。以前にもこの通信でお話しましたが、現代の同性愛者の関係性は聖書に書かれた同性間性行為とは異なるものです。それなのに、翻訳者はその言葉をわざわざ選んで用いているのです。文字を信じるということは翻訳者が選んだ言葉を信じることになってしまいます。

ではもう1つの読み方、これは、聖書もまた古代の文献である事実を認め、書かれた時代の歴史的背景や書かれた場所、著者の立場などを考慮し批判的に読む方法です。高等批評という言い方もします。聖書無謬説の立場からは、聖なる書物を人間的な方法で読むのはいかがのものかなどとかなり強く非難されたりもします。

私は、逐語霊感説の立場をとる教会で育ちました。中高生の頃、毎週一回牧師が家庭教師のように自宅に来てくれて聖書の勉強をしていました。毎日最低15分はその教会が採用していたテキストに基づいて聖書を読み自習していました。しかし、今はリベラルな立場の読み方を採用しています。なぜなら、聖書無謬説(+逐語霊感説)にはかなり無理があると思いますし、この読み方によって自分自身の存在が否定され取り返しのつかない傷を負ったからです。

その人が神様から愛されていると心底実感し、解放されるのであれば、誰がどちらの読み方を採用するのも自由であると思います。ただ、人間の限界を認めない聖書無謬説は「聖書の文字崇拝」Bibliolatryに陥る危険性が高いように思います。聖書の文字を振りかざして、人を傷つけることがあります。しかも、傷つけていることに気づかず、自分は正しいことを言っていると思い込んでしまいます。なぜなら、聖書は絶対的に正しいと主張するからです。

聖書の読み方に必要なのは、3段のお弁当のような感じだと最近思っています。一番下が白いご飯、真ん中がおかず、一番上がデザートです。ご飯は、聖書の本文。おかずは、聖書が書かれた時代の文化、歴史、聖書本文の文脈です。デザートは、自分が所属する文化・地域・現代の出来事に影響された自分の考えの偏りです。聖書無謬説は白いご飯だけを食べ続ける読み方で他の味は認めません。栄養が偏ってしまいます。リベラルな読み方はご飯、おかず、デザートをまんべんなく食べる読み方です。このほうが健康的です。



イラストのイエス様は現代のキリスト教徒にこう言います。

「私とあなた方の違いは、あなた方は愛が何を意味するか特定するために聖書を使うけれど、私は愛を用いて聖書が何を意味するのかを突きとめるのだよ。」

私たちは、聖書の文字を信じるからキリスト教徒なのでしょうか。いいえ、私たちは、イエス・キリストの愛を信じその愛に従って聖書を読み、生きるから、キリスト教徒なのです。


イラスト David Hayward, New Brunswick, Canada,
https://www.nakedpastor.com/love-versus-the-bible/

The Small Talk 4 - 2019.02.05

主に今わたしが仕えている土沢教会の皆さん向けですが、もちろん外部の皆さんにも読んでいただきたく、個人通信を書き始めました。2019年1月から5のつく日に書きます。

聖書を知ろう(1)

2月は聖書について語るシリーズにしてみます。今年の受難節(レント)は3月6日の灰の水曜日以降ですが、その前の短い期間、改めて、聖書を読むということを考えてみたいと思います。

皆さんが聖書について集中的に学んだのはいつのことでしょうか。毎週の礼拝でみ言葉を読み、説教を聞き、自分なりに思い巡らしておられると思いますが、なかなかじっくり聖書という書物について学ぶ機会はないかもしれません。洗礼準備の期間が一番じっくり聖書を学んだ時期だったでしょうか。あるいは、学校で聖書の授業があったという方もいるかもしれません。

日本には、聖書が一冊の本だと思っている、イエス・キリストというキリスト教の教祖が聖書を書いたと思っている方々もわりと多くいらっしゃるようです。また、キリスト教の人は聖書を全部信じないといけないと思っている方々もいます。(私が担当する生徒たちが最初そう思ってます。)

まず、聖書は一冊の本ではありません。聖書はむしろ小さな図書館と表現したほうがいい書物の集まりです。私たちが持っている今の聖書は一冊の本の形になっていますが、聖書が書かれた時代には、紙をこのようにまとめて綴じることはできませんでした。今の聖書の中に入っている1つ1つの書物が1つ1つの大きな巻物でした。今の本の形になったのは印刷技術が発達してからですね。

どの巻物が聖書(の正典)となるかは、書かれた時代からずっとあとになってから話し合いを経て決まりました(ヘブライ語正典は1世紀末ヤムニア会議、新約聖書は367年アタナシオスの『第39復活節書簡』とカルタゴ公会議397年、トリエント公会議1545~63年)。それぞれの書物は最初から正典を目指して書かれたわけではありません。プロテスタント教会では聖書は旧約39、新約27で合わせて66と学び、書物の順番を暗記なさっている方も多くいらっしゃると思いますが、この数や目次はあくまでプロテスタントの常識であり、カトリックの方々は66に含まれない外典も礼拝で朗読されるみ言葉として尊重します。旧約、新約という言葉はキリスト教の用語です。もともと旧約聖書はユダヤ教の聖書です。ユダヤ教の聖書では配列も違います。教会の内で旧約、新約と表現するのは構わないと思いますが、ユダヤ教の方々が大切にしてきた聖書を受け継いでいる私たちですので、旧約はヘブライ語聖書と表現するのが現代ではよりよい言い方です。

では、聖書を書いた人は誰なのでしょうか。イエス・キリストが書いたのではない、というのは教会に来ている方々はご存知ですね。でも、誰が書いたのか考えたことがありますでしょうか。新約聖書の福音書にはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによるという名前がついています。しかし、実際にこの名前の人たちが書き上げたわけではありません。著者は名もなき人たちです。彼らはこの4人の名前を借りました。福音書が書かれる前、人々は口伝えでイエス・キリストのことを伝えてきました。だんだんと実際にイエスと出会った人たちが亡くなっていくなかで、イエスの生涯や教えを、自分が接していた人たちに伝えていくために書かれたのが福音書です。4つの福音書は新約聖書の最初の方に来ていますが、書かれた時代はパウロの手紙の方が早いものもあります。手紙の多くは、パウロが書きました(実際は口述筆記だったとも言われます)。パウロが書いたのではないけど、パウロの名前によって書かれたものもあります。パウロは、地中海の都市を旅してイエスに従いたいと願う人々をコーディネートしました。自分が去ったあと、それらの集まり(初代の教会)に手紙を書き送りました。福音書の著者たちも、パウロやパウロの名前を用いた人たちも、さあ、自分たちはキリスト教の聖なる正典を書くぞ〜!と意気込んで書いたわけではありません。それぞれに、その地域で集まっていた人々に向けて書きました。
ヘブライ語聖書(旧約聖書)は状況がますます複雑です。書かれた時代も古いものでは紀元前10から9世紀です。ヘブライ語聖書では同じ書物の中に何種類かの資料があり、それらが組み合わされています。どれとどれがどの資料か、ということが全部わかるわけではなく、学者によって主張が異なることもあります。たとえば最もわかりやすい創世記、1章と2章は別の資料です。

聖書というのは数え切れない名もなき人々が、自分たちが生きた時代に必要と思わされた神と人との関係に関する事柄を書いた文章の集まりです。キリスト教の正典となったのは、キリストに従うと決めた人々の人数が多くなり、組織としての宗教の体をなしてきて以降です。聖書は確かに、今の組織宗教であるキリスト教の正典ですが、いきなり聖なる書物になるために天から降ってきた本ではなく、人々が必要に応じて書き、編集し、まとめた図書館です。その図書館の書物の文章を、私たちは信仰をもって神の言葉として受け取っています。

イラスト:https://blognulinux.com/3831/books-of-the-old-testament-for-kids-11-09-2018/last-minute-books-of-the-old-testament-for-kids-new-proven-bible-book-bookcase/

The Small Talk 3 - 2019.01.25

主に今わたしが仕えている土沢教会の皆さん向けですが、もちろん外部の皆さんにも読んでいただきたく、個人通信を書き始めました。2019年1月から5のつく日に書きます。

キング牧師生誕記念日に思う

アメリカでは1月第3週がキング牧師の生誕記念日でした。盛岡大学附属高校の私が担当する聖書科の授業では、最終学期にキング牧師の活動を描いた映画を観ます。アラバマ州のセルマという町で繰り広げられた抵抗運動を描いた『グローリー 明日への栄光(原題:Selma)』です。まず予備知識なく観てもらい、途中でこれは本当にあった出来事だと伝えると、生徒たちの多くは神妙な面持ちで画面を見つめはじめます。映画の前半部分、黒人の子どもたちと青年が亡くなる(殺される)シーンがあるので、ショックを受けつつも、映画の中で何が起きているのかを捉えようとする眼差しは真剣です。1960年代、インターネットも携帯電話もなかった時代です。人々が世界で起こっていることを知る手段はテレビと新聞でした。しかし、メディアが伝えきれないところで、多くの暴力が起きていました。差別主義者の白人たちの黒人への差別が、多くの犠牲者を出しました。キング牧師と仲間たちはその暴力をメディアを通じて白日のもとに晒しました。遠くにいる人、近くにいる人、白人、黒人、その他人種関係なく、すべてのアメリカ人に、こんなひどいことは終わらせなければならないという思いを抱き行動するよう訴えました。

キング牧師の書簡バーミングハムの獄中からの手紙(※1)は、キング牧師が留置場にとらわれていた時に書かれたものです。私はアメリカの神学校で読みました。まるで、牢に入れられたパウロが書いた手紙のような手紙です。これは穏健派白人牧師たちに向けて書かれました。彼らは黒人差別はいけないという立場をとりながらも、自分の教会の教会員を前にすると抵抗運動については語らなかったり、直接行動には反対したりしました。変化には時間がかかるのだとまことしやかに言ったりもしました。また、キング牧師たちの活動を「愚かでときをわきまえない」(※2)と非難したそうです。そのような白人牧師の二枚舌をキング牧師は痛烈に批判します。白人牧師たちが、白人たちを目の前にした説教壇からイエス・キリストの愛の教えを語りながら、黒人たちの苦難を語らないことを。批判は当然ではないでしょうか。黒人たちは、傷つけられ、殺されていたのです。

なかには、黒人差別解消のために立ち上がり、ともに活動した白人牧師もいました。殺された人もいました。一方、どんなに黒人のコミュニティから差別の解消を望まれても、考えを変えなかった白人牧師や信徒たちも多く存在しました。自分の教会では、優しく、まじめで、いわゆる良い人である白人たちです。しかし、黒人差別に関しては、死ぬまで、当然であると信じ続け主張し続けました。しかもその差別は聖書的に正しいことだと主張していました。黒人が奴隷であることや、奴隷制度自体も聖書的に間違っていないという解釈がなされていました。根拠となった聖書箇所は、創世記9章21~27節です。

あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、自分の父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。セムとヤフェトは着物を取って自分たちの肩に掛け、後ろ向きに歩いて行き、父の裸を覆った。二人は顔を背けたままで、父の裸を見なかった。ノアは酔いからさめると、末の息子がしたことを知り、 こう言った。
「カナンは呪われよ 奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」
また言った。「セムの神、主をたたえよ。カナンはセムの奴隷となれ。
神がヤフェトの土地を広げ セムの天幕に住まわせ カナンはその奴隷となれ。」

ここに出てくるハムが人種的には黒人だったとされ(黒人だとは聖書のどこにも書いていないのですが)ハムの子カナンがノアによって呪われてしまい、セムの奴隷となれと言われたことで、ハムの子孫=黒人の子孫は奴隷であるべきという解釈がなされていました。21世紀の現代、どんなに保守的な教会であっても、この解釈を受け入れる教会はありません。でも、ほんの50年ほど前まではこのような考え方をいわゆる「正統的」「スタンダード」と考え、教える牧師が多くいたのです。

今、同じようなことが、今度は同性愛者に対してなされています。どういうことでしょうか。聖書には「ハムが黒人である」とは書かれていませんでした。それなのに、勝手に黒人だと当てはめて奴隷制を承認しました。同性愛の場合、聖書には「搾取関係にある同性間性行為」については書かれているけれど、「現代の同性愛者が築いている対等な人間関係」については書かれていません。それなのに、いつしか「搾取的同性間性行為」=「同性愛者の関係」とが混同されて読まれるようになり、同性愛者はゆるされない罪を犯しているとみなされるようになりました。聖書によって黒人奴隷制度を承認することはできないの同じで、現代の同性愛者差別も聖書に基づいて承認することなどできません。でも、同性愛者差別・断罪を当たり前と考える教会がアジア・日本に多くあります。異性愛者の牧師、信徒たちが間違いに気づくのはいつでしょうか。50年後、どのように評価されるでしょうか。日本の多くの牧師たちが、自分の教会の信徒や出身大学の教授などを前にして、著名な白人男性神学者の神学書を引用しながら説教をしたり論文を書いたりします。そこで同性愛者差別について語られることは滅多にありません。キング牧師たちの時代、白人牧師が黒人たちにとった態度とそっくりではないでしょうか。現代の私たちの教会が、キング牧師たちのように差別に抗い解決を目指す道を選ぶのか、差別は正しいと信じて黒人を貶めぬいた人々のようにだんまりを決め込むのか、今、問われているのではないでしょうか。


※1 1963年4月16日付。手紙の宛名には白人牧師たちの個人名が書かれています。
http://okra.stanford.edu/transcription/document_images/undecided/630416-019.pdf

※2  マーチン・ルーサー キング (著)中島 和子,古川 博巳 (翻訳)『黒人はなぜ待てないか』(みすず書房,2000年4月1日)

The Small Talk 2 - 2019.01.15

主に今わたしが仕えている土沢教会の皆さん向けですが、もちろん外部の皆さんにも読んでいただきたく、個人通信を書き始めました。2019年1月から5のつく日に書きます。

インドネシアからの呼びかけ

毎年1月のキリスト教一致祈祷週間(1月18日から25日)の礼拝では、世界各地の教会が準備した式文を用いています。今年の式文の準備はインドネシアのキリスト教共同体が担当してくれました。インドネシアとはどんな国なのでしょうか。外務省のホームページの情報を見てみます。正式名称はインドネシア共和国(Republic of Indonesia)です。(※1)

面積:約189万平方キロメートル(日本の約5倍)
人口:約2.55億人(2015年,インドネシア政府統計)
首都:ジャカルタ(人口1,017万人:2015年,インドネシア政府統計)
民族:大半がマレー系(ジャワ,スンダ等約300種族)
言語:インドネシア語
宗教:イスラム教 87.21%,キリスト教 9.87%(プロテスタント 6.96%,カトリック 2.91%),
ヒンズー教 1.69%,仏教 0.72%,儒教 0.05%,その他 0.50%(2013年,宗教省統計)

外務省のページには言語がインドネシア語しか載っていませんが、キリスト教一致祈祷週間の冊子には、740以上の異なる言語を話す1340の民族が暮らすと書かれています。首都のジャカルタがあるのがジャワ島、その他大きな3つの島、スマトラ島、スラウェシ島、カリマンタン島のほか14000以上の島々があります。(※2)

歴史を少し辿ってみますと、1602年にオランダが東インド会社を設立しインドネシアをその支配下におきました。その後、1942年から1945年の3年間は日本軍による占領期間がありました。そして戦後の1950年に独立します。インドネシアという国を知る時に欠かせないのは、東ティモールという国だと思います。小スンダ列島のティモール島の東側が、東ティモールです。この東ティモールは、戦争中に日本軍が占領する前はポルトガルの植民地でした。日本軍が去った後、再度インドネシアはオランダの支配下、東ティモールはポルトガルの支配下におかれました。インドネシアが独立した後、1975年に東ティモールもポルトガルからの独立を宣言しますが、インドネシアが武力侵攻し、併合してしまいます。国連総会は侵略行為としてこの武力侵攻を非難しましたが、日本はこの武力侵攻・併合を承認しました。その後、多くの人々が犠牲となった抵抗運動の末、2002年にインドネシアからの独立を達成しました。この独立運動に関するドキュメンタリー映画『カンタ!ティモール』が、去年の2月土沢教会で上映されました。映画の中心人物アレックスさんや東ティモールの人々が、相手を責めることはしないと語っていたのが深く印象に残っています。このように隣国との悲しく辛い関係を持つインドネシアです。そのインドネシアを戦争中は占領し、戦後、隣国に彼らが武力侵攻した時に経済援助を続けたのが私たちの国、日本です。(※3, 4, 5)

さて、キリスト教一致祈祷週間の冊子には「ゴトン・ロヨン」という言葉が出てきていました。これは「一緒にモノを運んでいく」という意味でジャワの農村社会の相互扶助の伝統なのだそう。(※6)インドネシアの教会共同体は、今回の一致祈祷を通して、小さな農村社会の内側だけではなく自分たちの信仰における共同体においても「一緒にモノ運んでいく」という考えを大切にしていきたいと願っておられます。「生活、仕事、苦悩そして祝い事といったすべての側面を分かち合い、すべてのインドネシア人を兄弟姉妹と考えることを意味します」とテーマの解説にあります。その願いに基づき与えられた聖書の言葉が「ただ正しいことのみを追求しなさい」です。英語では、Justice and only justice you shall pursue. 「正義(公正)、ただ正義のみがあなた方が追い求めるべきものだ(私訳)」。

ここでいう正義は、人間が勝手な思いで振りかざす正しさではなく、神が私たちに求める正しさすなわち正義・公正のことです。現代においては、みんながみんな自分の正しさを主張する、などということをよく耳にしますが、その場合の正しさは人間の主張であり、主張であれば相対的なものになるのは当然です。旧約聖書の時代、預言者たちは、不正義・不公正がまかりとおる社会の中で正義を訴えました。この正義は、社会的弱者の強者による抑圧からの解放、弱くされた人々の生活の回復です。私たちは今年のキリスト教一致祈祷週間を通して、自国や自分たちの信仰共同体のみならず世界のどの社会・共同体においてもこの正義が実現されることを心から願い、自分の持ち場でなすべきこと・できることを考え祈ります。

※1 外務省 https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/indonesia/data.html
※2 じゃかるた新聞 https://jakartashimbun.com/free/detail/33121.html
※3 世界史の窓 https://www.y-history.net/appendix/wh1703-095.html
※4 映画カンタ!ティモール https://www.canta-timor.com/
※5 京都精華大学30周年記念事業
  http://www.kyoto-seika.ac.jp/freedom/sp/jose_ramos_horta/history.html
※6 神戸学院大学学報
 https://www.kobegakuin.ac.jp/gakuho-net/infocus/2011/2012_02.html

The Small Talk 1 - 2019.01.05

主に今わたしが仕えている土沢教会の皆さん向けですが、もちろん外部の皆さんにも読んでいただきたく、個人通信を書き始めました。2019年1月から5のつく日に書きます。

新しい年を迎えて

2019年が始まりました。毎朝、スマートフォンの聖書アプリが知らせてくれる聖句(聖書の言葉の一節)を読んでいます。1月1日今年最初の聖句は、旧約聖書の箴言(※1)16章9節。(ちなみに最近スマホを使い始めた母も毎朝!聖句を自分の指で打ち込んで、ラインで送ってくれます。その話はまた今度…。)

人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。

私は英語の聖書に設定していて、アプリが画像を自動で作成してくれます。
この聖句は New Living Translation という英語訳で読みました。

We can make our plans, but the LORD determines our steps.

毎年、多くの人があれこれ計画を立てたり新年の抱負を決めたりしますが、現在の私は目標を設定してそれに向かって突き進むような性格ではないので(中高生時代、運動部の頃はかなりそういう感じでしたが)なんとなく全体としてこういう気持ちでやっていこうという目星をつけます。今年はこの聖書の言葉の通り、とりあえず色々計画を立ててやってみて、しかしその歩みは神様にゆだねていこうと思います。

振り返ってみると、自分が計画したことで自分の思い通りに達成してきたことなど、ほとんどなかったような気がします。初めて、本当に人生には突然の不幸があるのだと実感した経験は、高校最後の高校総体。大会3日前に痛恨の怪我をしました。それまでのソフトボール生活5年半、一度も怪我などしたことがなかったのに。チームは1回戦で敗退。負けた時には涙すら出ませんでした。卒業の時になり、後輩たちがお別れ会をしてくれた時に、泣いたような気がします。10代での大きな挫折はほんの始まりに過ぎませんでした。その後、身も心もボロボロになるような出来事を何度か経験し、文字通り「神様はどこにいるんですか」と暗い夜空の下で涙を流しながら声に出して訴え祈ったこともありました。私の世代は、就職氷河期世代。どんなに個人が頑張っても、乗り越えられない壁があるということを身を以て思い知らされている世代です。頑張り続けたところで、必ずしもその頑張りに結果が伴うとは限らない厳しい状況を突きつけられている世代です。世代の状況だけではない個人的な事情も含め、生きることの悲しみ、苦しみ、虚しさ、切なさを噛み締めた20代は、命からがら生き抜いたという感覚です。そして、新しい挑戦をたくさん与えられた30代は、なんとか踏ん張ってきました。今年、私は30代最後の年を迎えます。神様が歩ませてくださるのでなければ、ここまで来れなかったと心底思います。今、仕事があり、心身ともに健康でいるのは、当たり前のことではない。本当にそう思います。頑張っても結果が出ない経験を何度もすることができて、さんざん傷つけ傷つけられて、今ではよかったと思います。頑張ったら必ず報われるという原理だけで生きると、簡単に人や自分を傷つけてしまうと学びました。大人として責任を果たすことは重要ですが、個々人の努力が報われるのは当たり前と信じて疑わない人は、実は危機に脆く、結果を出さない人々に対し無意識のうちに冷酷になります。

私たちの計画を実際に歩ませてくださるのは神である。自分が自分の人生をすべてコントロールできると思うなんて、なんという人間の驕り高ぶりかを思い知らなければならない。新年に与えられた聖書の言葉で再確認しました。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」のごとく成熟した40代を始められるような準備の一年にしたいと思います。
皆さんは、この一年、どんな風に生きていきたいですか。

※1 箴言 ヘブライ語聖書(旧約聖書)に入っている書物の一冊。ユダヤ教の聖書分類で「諸書」に含まれます。「知恵文学」でもあります。全部で31章あり伝統的にはソロモン王が書いた部分が多いとされますが筆者は不明。格言や教訓が多く書かれています。知識 Knowledge ではなく 知恵 Wisdom の書。老年の教師が若者に知恵を授けることを目指す内容なので因果応報的内容もあります。最後の章は、有能な女性についての文章でしめくくられます。毎月毎日1章読むのもいいかもしれません。英語のタイトルは The Book of Proverbs です。

The Small Talk PDF一覧

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