広島を訪れて

なぜ今回広島に行こうと思ったのか自分でもよくわからない。

戦後70年という言葉が飛び交う中で、原爆を落とされた土地を訪れたことがない自分に対して、何か違和感を感じた。それだけ。今回は大阪まで行く用事があったので、広島のほうが近かったから、広島に行ってみたのだけど、長崎にもいつか行ってみたい。

今の広島は、原子爆弾で吹き飛ばされて何もなくなってしまった土地だったとは、想像つかない。けれど、あの原爆ドームは紛れもない歴史の生き証人で、あそこだけ時間が止まっているようだった。

70年前のあの日の爆風を受けて、その後、原爆ドームと呼ばれ始めたあの建物は、どんなふうに広島を見てきたのだろう。日本を見てきただろう。あの建物にもし、人間のような感情や意志があったら、彼あるいは彼女は何を思うのだろう。

癒やされることのない傷。むき出しの傷。あの日のあの瞬間をそのままにさらけ出して、生きてきた建物。

広島と長崎にはあの建物と同じ傷を受けた人々が今も生きていて、その傷を身体的に受け継いだ人々もいて。

ほんとうは日本に生きる私たちは ー国としてまとまっているのであればー 日本人として自分たちの国の一部である広島と長崎が受けた痛みを、自分の傷として受けとめる必要があるだろう。原爆の被害、空襲の被害、とにかく傷を受けた人たちのその傷と、70年間どのようにして向き合ってきたのだろう、私たちは。

私は、戦後70年のうちのちょうど後半の半分を生きてきた世代だ。

戦争というモノを実際には知らない。けれど、女性として、セクシュアルマイノリティとして、離婚した親の家庭に生まれた子どもとして、東北地方出身として、キリスト教保守派グループから日本国内では比較的進歩派とされるグループに移籍した者として、いろんな理由で、いろんな場面で、理不尽な暴力と出会ってきた。

だからこそ、暴力がもっとも大きい単位で現れる戦争というのは「本能的に嫌い」だ。

傷は苦しめる。傷は痛い。傷は絶望を生む。

原爆ドームは、「今もこの傷は痛いよ、苦しいよ、でも生きているよ、だからこれ以上痛い思いや苦しい思いをしたくないよ」と言っているようだった。傷を抱えてもそれでもその場で生きてきた、だからこれからも生きていく、という勇気を与えてくれているようでもあった。


私の心の中にも、原爆ドームのような廃墟のような場所があるのかもしれない。

今年の7月で、アメリカから日本に帰国して1年経った。幸いにも働く場所を与えられて、初めて迎えた終戦記念の8月だった。なんとなく原爆ドームを見に行かなくちゃという気にさせられたのは、私の中のこれまでの傷を原爆ドームという実際の建物を通して改めて見つめたいという欲求からだったのかもしれない。また、「終戦記念」とは無縁に過ごしたアメリカでの3年間の反動から、もっと「終戦」を身近に感じたいという欲求だったのかもしれない。

私は、原爆で亡くなった人や被爆した人たちと自分を比べて、あんなに苦しんだ人もいたのだから自分はもっと頑張らなくちゃいけない、とか、あの時代の人は可哀想だったとか、そういう気持ちにはならない。ただ、70年前の現実をまっすぐに受けとめる必要があると感じる。原爆での攻撃というのは「悪」でしかない、と強く思う。そして、究極的に「戦争」という道を人間が選ぶというのは「悪行を選ぶこと」であると思う。

破壊されたものは二度と、もとには戻らない。戻れない。

戦争や原爆は、新たな次元のための脱構築ではなくて、人に絶望をもたらす破壊でしかない。


私は、今回広島を訪れて、原爆ドームの悲痛の声を聞いた。










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