2015年8月10日月曜日

猫と夏、真っ盛り

7月6日月曜日に、一人暮らしをはじめてから10年にしてはじめて、一緒に住む動物をもらいうけました。保護された仔猫、凛(りん)ちゃん。8月3日月曜日に、凛と一緒に育っていた百合(ゆり)ちゃんも受けとることになりました。

私は動物好きで、犬も猫もどちらも好きなので、すっごく犬派!すっごく猫派!みたいな可愛がり方はしないタイプです。猫たちともそれなりに距離をおきつつ、まぁ楽しく暮らしています。


7月は、いろいろありましてしんどかったです。なんか、お話がきちんとできないとか、言ったことを実行しないとか、自分の状況を理解していない、受け入れられない、とかやっぱり大人でもあるんだなぁと改めて学ばされました。まあ、理由はあるにせよ、少なくとも話はしないと、と思うんですよね。

そして、私は成金的なお金持ち趣味に非常に嫌悪感がある、と確認しました。自分の持ち物をすべてブランド品などで固めてさ、社会的地位があったとしても、人としての性質はそういうモノやお金ではかれるものではない、って心底思った。そういう暮らしってむしろカッコわるいと思う。

こういう、日本のお金を持っている層の人たちの社会との関わり方とか信念の浅はかさって空しいよなぁ。お金を持っている層は、こういう人たちが大半なのかなぁ。

あとは、キリスト教系の私立中学校や高校って、本当はそういうお金に寄らない価値観を教えているはずなのに、都会のお金持ちの子どもたちが集まってるって矛盾だよなぁと思わされました。お金持ちの親はキリスト教の基本も何も知らないのに、月に何万円も払って、子どもたちを塾に通わせて、キリスト教系中高に入れる。意味不明すぎる。

だって、キリスト教って貧しい人、弱くなっている人たちと寄り添うはずなのに、そういう人たちって貧しい状態を経験していないじゃないですか。不思議。


8月は、つい最近、日本基督教団の正教師試験というのの提出論文、6つのうち5つが不合格になっちゃって、その理由もイマイチな感じでしんどかったですね。まぁ「オカミの方々のおっしゃることなんだから理由は正当なのだろう、きっと」とか、「不合格なんだからそれなりに悪い論文だったのだろう」とか、考える人が多いのかもしれませんが、、私の頭には「お上=正しい」という方程式はありません。

神学という学問において唯一正しい答えを書けということ自体が間違いだと思うし、神様以外の何物をも絶対化してはならないはずなのに、聖書の文字を絶対化して聖書という文献への批判をゆるさないだなんて、変なの。

聖書は、委員会の皆さんに守ってもらわなくても、聖書そのものだけで十分神の言葉ですから!人間の批判で潰れるような書物じゃない。って感じ。

本当に聖書が好きなら、聖書を誤用して世界のキリスト教会が犯した罪を見過ごしてはならないのではないかと思います。前後の文脈と歴史と、現代社会の中で聖書を読む。ある部分だけを切り取って読むのは聖書の文字崇拝であって、それは神の言葉として聖書を受け取ってるんじゃないと思う。

日本のキリスト教会は、日本の言霊文化に影響を受けすぎてはいないか?と思ったりもしますね。

日本のキリスト教会の教会の内側にいる人たちだけに通じる常識は伝統でもなんでもなく、ただの偏向思考なだけ。「今までこうしてきたから今もこうしている、今までこういう仕方で信じてきたからそれが普通」みたいな思考回路から抜け出せないのかなぁ、今のちょっと上の世代の人たち=なんとか議員とか、なんとか委員長とか、なんとか委員の人たちって。硬直した思考回路に気づきもせず、自分たち自身が常にトランスフォームされることを求めないようなリーダーたちがこの団体をまわしている間に、日本の教会は、どんどん人々の間で必要とされない存在となっていくでしょうね。

残念なことです。私はそういう状況に、やはり、「迎合」はできません。

ま、イヤなこともあったけれど、一番イヤなことから約一ヶ月たって、だいぶ元気になった。そして、夏休みになって近所の子どもたちが遊びに来てくれるのが、すごーく嬉しいです。今週はバーベキュー!猫が走り回ってるのを見るのも癒やされます。










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