説教「人の予定、神の旅程」@内丸教会

人の予定、神の旅程

改定聖書日課 受難節 第一主日
2015年2月22日
於・日本キリスト教団内丸教会

旧約聖書 詩篇25章1−11節(口語訳)
賛美歌21:211,446,91

                              


Remember that you are dust, and to dust you shall return.
あなたはちりであり、ちりに帰っていくのです。

この言葉は、灰の水曜日の礼拝で用いられる言葉です。創世記3章19節の記述に基づいています。灰の水曜日は、レント(受難節・四旬節)が始まる日です。昔のキリスト教徒は、イースター(復活祭)の日の前に、40日間の節制や断食の期間を設定していました。イースターは毎年お祝いする日がちがいますので、灰の水曜日も毎年ちがいます。今年は、2月18日(水)でした。ですので、今日2月22日の礼拝は、レント(受難節)が始まって最初の日曜日の礼拝ということになります。

レントの期間は、昔は、洗礼の準備期間でもありました。イースターの日曜日に洗礼を受けるのが一般的だったからです。この期間、人々は、神さまについて、人間について、教会のリーダーから学び、思い巡らし、自分にとってイエス・キリストの救いとはどういうことか、と考えてきました。

本日お読みしたのは、詩編です。詩編は、礼拝において交読や賛美として用いられることが多いので、説教のなかで聴くというのは皆さんにとって珍しいことかもしれません。これは私が選んだのではなく、英語圏のカトリック、プロテスタント、聖公会つまりほとんどの教会で用いられている「改定聖書日課」の指定の箇所です。

旧約聖書の最初の5つの書物、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記はトーラー(律法)というジャンルの本として分類されています。詩編は150篇あり、律法の区分にならって、5つのセクションに分けて編集されています。セクションの最後の部分に「アーメン、アーメン」と書いてあるところが区切りです。今は聖書研究の時間ではないので特に覚える必要はないのですが、申し上げておきますと、第一部が41篇13節まで、第二部72篇19節、第三部89篇53節、第四部が106篇48節、最後の150篇は全体として締めくくりのセクションです。

今日の詩編25篇は、第一部に含まれているということです。しかし、区切りがあるのがわかっても、実は個別の詩編がいつ誰によって書かれたかというのは、学者たちが一生懸命研究して調べてもほとんどはわからないのです。ただ、おおまかに、ほとんどの詩編はバビロン捕囚の出来事の後に作られたと推測できるそうです。

バビロン捕囚は、紀元前586年、エルサレムがネブカドネザル王によって征服された出来事ですね。「神の家」だったエルサレム神殿も破壊され、イスラエルの指導者たちは強制連行されてバビロンに連れて行かれました。貧しい一般の人々はエルサレムに残され、廃墟を目の前に征服者の支配のもと、暮らすよりほかありませんでした。

バビロン捕囚は、イスラエルの人たちにとって、分断の痛みでした。また、古代の戦争はその民族の神と神の戦争とも捉えられていましたから、イスラエルの神が敵の神に負けたという敗北の痛みでもありました。詩編のひとつひとつの歌・祈りの背後には、イスラエルの人たちのこのような苦しみの経験があります。

今日の詩編の「わたしの敵を勝ち誇らせないでください(2節)」「すべてあなたを待ち望む者をはずかしめず、みだりに信義にそむく者をはずかしめてください(3節)」さらに読み進めると「わたしの敵がいかに多く、かつ激しい憎しみをもってわたしを憎んでいるかをごらんください(19節)」などは、捕囚の分断と敗北と喪失の痛みから生まれた祈りであります。

しかし、この詩編の祈りをそのまま、どなたかが内丸教会の代表として教区や地区の集会で行ったら、他の教会の方はびっくりしてしまいますね。私たちは公の場では美しく祈るように訓練されていますし、もちろんマナーとしてそうすべきでもあります。

一方で、私たちは美しい祈りだけではなく、魂から出てくる苦しみ、憎しみの言葉も持っているのです。今日の詩編の祈り手は、人間の罪、悪、戦争による人殺し、破壊、人が奴隷とされる経験を目の当たりにして祈りを絞り出しました。

25篇の祈りでは一人称は「わたし」になっていますので、これは個人の祈りですが、詩編全体がイスラエルの共同体の中で用いられてきた文書ですので、共同体の祈りともいえます。

  1:主よ、わが魂はあなたを仰ぎ望みます。
  2:わが神よ、わたしはあなたに信頼します。
この祈り手は、人間の罪、悪を目の当たりにして、希望がないどんぞこから「私は人間に望みを抱くのではなくて、神さまを信頼します」と祈りはじめています。


                              


ところで、オバマ大統領も彼の考えを参考にしているラインホールド・ニーバーという神学者がいます。1892年誕生、1971年78歳で死去しました。アメリカの外交政策に大きな影響を与えました。ニーバーは私が昨年5月に卒業したアメリカのイーデン神学校の卒業生でもあります。世界で最も有名な神学者の一人です。

彼は、キリスト教における人間の本質は、逆説を含んでいるといいます。より高い次元の人間の偉大さを認めるのと同時に、人間の悪・罪について、とても真剣な見方をするということです。

私は、神学校在学中、組織神学の授業のグループディスカッションで、悪について話し合う機会がありました。私のグループに教授が様子を見にきた時、私はこういうような考えを述べました。「人は悪いことをしたくてするわけではないだろうし、善悪を区別して罪を決めるのは難しいのではないか。」そうしたら、教授がはっきりと、強い口調で「玲奈、悪は、悪。悪は罪なんだ。」とおっしゃいました。

その教授はスリランカ出身の女性で、スリランカの内戦を経験した人でした。人が殺され、村が焼かれるような場面を実際に見てきたわけです。

日本のご年配の皆さんも、戦争を経験されていますね。
私はそのような経験をしていないので、もしかしたら人間の罪、悪を軽く見すぎていたのかもしれません。プラス、自分が我慢すればいいという思いもありました。

でも、そうではないのだ、
「悪は悪。悪は罪。」と認識させられました。

                              


私は、日本ではかなり少数派である若い世代のクリスチャンであり同時にセクシュアルマイノリティ当事者です。詳しくはお話しませんが、セクシュアルマイノリティへの偏見による悪意を日本の教会生活のなかで経験しています。全世界のキリスト教のコミュニティの中に、同性愛者や性同一性障害者への差別、偏見、無知があります。神の愛を語る牧師やキリスト教徒が、同じ口で同性愛者、性同一性障害者に対して悪意と偏見に満ちた言葉を投げつけます。アフリカの一部の地域では、実際に殺人まで行われています。日本では、言葉が、セクシュアルマイノリティを精神的に殺します。本当に辛いことです。

                              


レントは、このような人間の罪を真剣に考える期間です。
私たちは「罪」をどのように考えたらよいのでしょうか?

現代アメリカの著名な説教者で神学者のバーバラ・ブラウン・テイラーという女性がいます。彼女は1984年からアメリカ聖公会の司祭で、2014年4月には、ビジネス雑誌TIMEの特集「100人の最も影響力のある人物」の一人に選ばれました。
Speaking of Sin The Lost Language of Salvationという著書の中で、法学と医学の言語(=考えの枠組み)が社会や教会で大きな影響を持つようになったことで、罪に関する言語(=罪を考えるときの枠組み)が聖書的ではない方向で解釈されるようになってしまったと指摘します。彼女の指摘を、ごく簡単に説明します。

法学モデルの考え方は、どちらかと言えば保守的な教会で、
医学モデルの考え方は、進歩的な教会でなされていると彼女は観察します。

法学モデルは、罪を犯罪のように解釈します。罪を犯した原因は、基本的にはその行為を行った人間本人にあります。小さな罪は代償を支払うことで償われるけれども、最終的には裁かれ、罪人は地獄に堕ちるという考え。

医学モデルは、罪を病気のように解釈します。病気になったのは人間の責任ではないのだから、本人を責めることはできない。病気が起きた環境や過去のトラウマ的な経験を責めたり改善したりする必要があるという考え。

法学モデルにおいては、結局、どれが罪でどれが罪ではないのかという律法主義や罪人と罪人でない人たちという分断が生まれることになります。

医学モデルにおいては、人間本人が自分を振り返り改善する意識を持てないので、結局、病気である状態、罪深い状態から逃れられないということになります。

どちらのモデルも極端で通り一遍の考えになってしまうのです。これは考え方の枠組みの話ですので、法学や医学が間違っていると言っているのではありません。法学や医学の考えの枠組みで聖書に出てくる考えを捉えてしまうと、聖書の伝える考えの豊かさが、極端、単一的になってしまいますよ、ということです。

極端、単一的な考えは分断を生み、よき方向への変革(transformation)が生まれません。

                              


では、キリスト教神学の枠組みで考えるとどうでしょうか?
キリスト教神学はいつも、神と人、人と人の関係ということを考えます。

私とあなた。私と神さま。私たちと神さま。
詩編の祈り手は、神さまと向き合っています。
イエスさまは、いつも人々のところへ出かけて行きました。

キリスト教神学においては、私以外の誰かの存在、命、尊厳を考えることなしにはどんなことも考えられないのです。神さまでさえ、唯一でありつつ3つの個性的な存在ですね。父、御子イエス・キリスト、聖霊の神です。

「関係」ということから考えると、人間が時代ごとに作る法律・習慣・伝統を破ることがキリスト教が考える罪(sin)ではなく「関係を破壊する力」が罪ということになります。ここでは、刑罰や代償の支払いが中心的事柄ではなく、破壊された関係の修復、和解が最も重要なこととなります。

また、神さまや人との「関係」を台無しにしてしまう力を選ぶ「選択」さらに、そういう「選択をし続ける選択」が罪です。もし台無しにしてしまったとしたら、そこから立ち直るため「やり直しの選択」をしなければならない、それが悔い改めです。

キリスト教神学では「関係」ということ抜きにしては、何も語れません。


罪とは、
相手の尊厳・命をおとしめるような行為・言動。破壊する力。
神と人、人と人との関係を台無しにする選択。
日本では、道にゴミを捨てないとか、時間を守るとか、礼儀正しく挨拶をするということが、とても重んじられていて、それはいいことなのですが、それができないことが「罪」や「悪」のように勘違いされていないでしょうか?

礼儀やマナーがなっていなくてもいい、と言っているのではありません。
木を見て森を見ず、になってしまっていませんか?ということです。

罪とは、
相手の尊厳・命をおとしめるような行為・言動、破壊する力です。
神と人、人と人との関係を台無しにする選択です。その選択をし続ける選択です。
Remember that you are dust, and to dust you shall return.
あなたはちりであり、ちりに帰っていくのです。

                              


詩編の祈り手はこう祈りを続けます。

 4:主よ、あなたの大路をわたしに知らせ、あなたの道をわたしに教えてください。
 5:あなたのまことをもって、わたしを導き、わたしを教えてください。
   あなたはわが救の神です。わたしはひねもすあなたを待ち望みます。

人間の道ではなく、神の道。罪の道ではなく、恵みの道。悪の道ではなく、愛の道。
これらを教えてくださいと願う祈りです。

人は予定を立てます。特に日本人は細かい予定を立てるのが好きだと思います。会合や宿泊での集まりなどがある場合、資料が配られ、そこには何時から何時まで、これ、あれ、それ、このグループはこう動く、あのグループはそっち、などと隅から隅まで指示があります。それに、日本の交通機関というのはめったに遅れることがありません。素晴らしいことなのですが。

予定を立てると、私たちはなんというか、未来を支配したような気分になりませんか。


しかし、私たちの予定は言ってみれば「ちりの予定」なのです。
悲しいほどに限界のある予定です。

それに対して、神の旅程は、私たちを罪から恵みへ導く旅の全体図です。
旅においては、目的地につくために旅程が変わることもありますね。
旅程の目標は、目的地を知り、そこにたどり着くことです。

7節、8節、11節に3回もでてくる「いつくしみ」という言葉は、英語では steadfast loveと訳されています。この英語を直訳すると、「不動の、揺るがない、確固とした愛」です。神さまの旅程は、「不動の、揺るぎない確固とした愛」に基づいた旅程なのです。

私たちの人生は、「不動の、揺るぎない確固とした愛」の旅程です。
この旅は一人旅ではありません。
なぜなら、キリスト教は人との関係なしには存在しないから。
だから、教会があるのです。教会は、神の旅程を授かった旅人の集まりです。

                              


私は、自分のまわりにいる人たちの尊厳を尊重しているだろうか。
私は、どんなふうに私に関わる人たち、そして神さまと関係を築いているだろうか。
相手が子どもであっても、女性であっても、年下であっても、外国から来た人であっても、障がいや病気を持つ方でも、セクシュアルマイノリティであっても、対等な人間として付き合っているだろうか。失礼な話し方や態度をしてはいないだろうか。

日本の教会は、日本に暮らすすべての人たちの尊厳を尊重しているだろうか。
教会は、どんなふうに日本に住む人たち、そして神さまと関係を築いているだろうか。
社会で弱い立場にある子ども、女性、若者、高齢者、外国から来た人、障がいや病気を持つ人、セクシュアルマイノリティ。その人たちも神様に愛されていると心から感じられるような場所に、教会はなっているでしょうか。


                              


アメリカには人種差別がまだまだあります。最も力(経済力、社会的地位、教養など)を持つ人たちは大人の白人男性です。日本は性別差別主義、年齢差別主義社会です。最も力を持つ人たちは、日本国籍を持つ中年の男性です。旧約聖書の世界でも一番力の強い人たちは男性でした。最も強い立場にある人たちは、その経済力、社会的地位、教養などを自覚し、より注意深く自分と人と、神さまとの関係を考える必要があります。

先日、岩手地区の牧師会に出席させていただきました。女性の主任牧師は一人でしたね。驚きました。日本キリスト教団は日本のプロテスタント教会では一番人数の多い集まりですが、全国の教区で一人も女性の教区議長を出していません。驚きますね。

神さまは、すべての人間を対等に大切な存在として作られました。なのに、人間は、最も強い立場の人たちだけがリーダーシップをとったり、社会のルールを決めたりしてしまう状態を続けています。当然のことですが、女性だからこそできること、障がいを持っている方だからこそ、ご病気の方だからこそ、若いからこそ、ご年配だからこそ、セクシュアルマイノリティだからこそできることというのはあるわけです。

リーダーシップをとる集団の色を一色にしてしまうと、通り一遍の極端な考えに傾く可能性が大きくなります。そして、極端な考えは、人を排除し分断を生みます。

教会は、人を迎える場所であり、排除する場所では決してありません。
教会は、神の旅程にしたがって旅をする人々の集まりです。
お互いの旅程を交換することはできません。それぞれの旅では、予定外の悲しみ、苦しみもあるでしょう。教会はそれらを共有し、励まし合う集まりです。ちりである人間の予定を厳密に実行するための集まりではありません。

Remember that we are dust, to dust we shall return.
わたしたちはちりであり、ちりに帰っていくのです。
罪と向き合いつつ、願うのは主の道。神の旅程です。
祈りましょう。


髪を一つに結ったら、びみょうな感じでした。おでこが広いんだな。



参考文献・資料
  1. 日本聖書協会『聖書 新共同訳旧約聖書続編付き』
  2. 日本聖書協会『聖書 口語訳』(1981年)
  3. ボンヘッファー著、森野善右衛門訳『教会と宣教双書2 共に生きる生活』(新教出版社、1975年、1998年)
  1. Society of Biblical Literature General Editor Harold W. Attridge, Fully Revised and Updated The Harper Collins Study Bible NRSV, (HarperCollins Publishers, 2006)
  2. Adele Berlin and Marc Avi Brettler, Editors, Michael Fishbane, Consulting Editor, The Jewish Study Bible Jewish Publication Society TANAKH Translation, (Oxford University Press, 2004)
  3. Marcus J. Borg, Speaking Christian Why Christian Words Have Lost Their Meaning and Power and How They Can Be Restored, (HarperOne, 2011)
  4. Walter Brueggemann, Introduction to the Old Testament The Canon and Christian Imagination, (Westminster John Knox Press, 2003)
  5. Ruth C. Duck, Worship for the Whole People of God Vital Worship for the 21st Century, (Westminster John Knox Press, 2013)
  6. Roger E. Van Harn and Brent A. Strawn, Psalms for Preaching and Worship A Lectionary Commentary, (William B. Eerdmans Publishing Company, 2009)
  7. Kathryn Matthews Huey, United Church of Christ Sermon Seeds Focus Scripture: Psalm 25:1-10,Weekly Theme: God's Loving Paths/Blessed Connections, (http://www.ucc.org/worship_samuel_february_22_2015, Accessed by February 20, 2015)
  8. Daniel L. Migliore, Faith Seeking Understanding An Introduction to Christian Theology, (Wm. B. Eerdmans Publishing Co., 1991, 2004)
  9. Barbara Brown Taylor, Speaking of Sin The Lost Language of Salvation, (Cowley Publications, 2000)
  10. United Church of Christ Local Church Ministry, United Church of Christ Book of Worship, (United Church Cleveland, Ohio  2012) 


コメント

人気の投稿